自分自身に発達障害の傾向があり、弟も発達障害と診断結果が出ています。
思えば、幼い頃から姉弟揃って何かに熱中すると他が全く見えなくなったり、私は何の法則性も無い数字の羅列を覚えるのが異様に早い、弟は座らせてもすぐ立ち上がり走り回るなど、他の子供には見られない症状がありました。
弟は多動性優勢型、自分は不注意優勢型、その違いや社会に出てからの周りの理解不足、自分で努力していることなどについてお話したいと思います。
多動性優勢型の弟
弟は特に「多動性優勢型」だった為、落ち着きの無さや一方的に喋ってしまうという特性で大人から目を付けられやすく、早い時期に医師に相談してADHDだという診断を得た為に周囲からの理解も得やすく、支援学級に通いながら幼少期を過ごしました。
県内にある小児向けの精神科に通い、周囲と自分の違いやどうすれば過ごしやすくなるかなどの相談を繰り返し、投薬も行っています。
どうしても環境に馴染めず体を壊してその病院に入院したこともありますが、退院後は自分以上に症状の強い子供の対応を先生と共に考えたりしていた為か、少しずつ落ち着きも出て来て周囲に馴染もうとしています。
対して私は同じ発達障害でも「不注意優勢型」を持ち、子供の頃は物静かで問題行動も無く、少し忘れ物が多い程度でした。
その為、周囲からも忘れ物を注意されるだけで通院などは無く、発達障害だと知らないまま大人になりました。
大人になってから「ミスが多い」「段取りが悪い」などと責められ、心を病んでしまい心療内科に通ったところ、発達障害の疑いがあると言われ検査を行った結果が不注意優勢型のADHDでした。
現在もなかなか職場で理解を得られず、「言い訳にしてるだけ」などと非難されることも多いので、できるだけ言わないようにはしています。
本来ならば、自分の脳の特性を「言い訳」と扱われるのは不本意ですし、あってはならないことです。
しかし理解者が少ない症状であるのが現実ですし、考え方や行動という「脳の傾向」は自分以外誰にも分からないので、ある程度は諦めが必要になってしまいます。
発達障害の兄弟も社会人となり
現在は二人とも社会人で、違うところで働いています。
私はとにかくミスが多いので、そのミスを減らせるよう自分なりの確認手順を作り、確認事項は充分かと先輩に報告して実践しています。
多くのことを同時にこなすのは困難ですが、決められた手順を覚えその通りに実行するのは得意なので、自分が分かりやすい、覚えやすい確認手順や確認事項を明らかにしてそのやり方を通せば少しずつミスは減りますし、ミスが減れば周囲から非難されることも減り、少しずつ過ごしやすくなりました。
今も心療内科に通いながら、理解をしてくれない先輩からの非難とそれによるストレス、適応障害に向き合っています。
子供のうちは「個性」「いつか治る」と真剣に取り合ってくれる人もいるでしょう。しかし大人になってから発覚すると、どうしても周囲は「大人なのに」「子供のうちに治せないの?」と白い目を向けて来ます。
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さいごに
はっきり言って、まだまだ発達障害への理解は浅く、対応の仕方も分からない人が多過ぎます。
なので、「変な子とは遊ばない」という子供のような態度を見せる人も多くいます。
ですが、それは本当に正しい振る舞いでしょうか。他の人にできて自分にできない、自分はおかしいのだと悩む必要はありますか?
自分でやりやすい方法を見付ける、それができれば充分だと、私は思います。
何もマニュアルに従うだけが正義ではありません。
マニュアルが分からない自分や発達障害の方を責めるのではなく、発達障害を持つ自分、発達障害を持つ相手が分かりやすい方法をお互いに探って行くことが一番の「理解」だと私は思います。
障害ではなく、脳の傾向、考え方や行動の違いだと思い、やりやすい方法を見付けるのが大事なのだと思います。
一般の方のマニュアルが分からないのなら、自分で分かりやすくアレンジしたマニュアルを用意して、そのマニュアルで大丈夫か他の方に相談してから実践するのが、一般の人と共に働く近道だと思います。
また、一般の方でも「このマニュアルや手順では分からない」という悩みもあるはずです。
そういった方も、我々と同じように、自分流のマニュアルや手順を作り、何か抜けているところは無いかなど周囲に相談し、働きやすくしていくことが大事だと思います。